久々の更新ですが、私は生きています。

最近はマンガのレビューや、仮想通貨関連の記事作成の仕事が多めにこなしていて、企画の依頼なんかもこなすようになっています。

 

具体的にはこんな記事とか。

 

【特集】萌えの世界にも進出!定着しつつある百合まんがの歴史

http://moemanga-room.com/?p=5904

 

【特集】年間読書数100冊超ライターが選ぶ!百合漫画30選まとめ

http://moemanga-room.com/?p=5698

 

……百合作品のレビューを大量に書いていたからか、すっかり百合に強いライターとして認識されている模様です。

食べ物系の特集なんかも書いているのですが、それは今回わきに起きまして……

 

先日同じサイトで別のライターさんが面白い記事を書いていたので、久々に日記を更新しているわけです。

該当記事がこちら。

 

【特集】百合とガールズラブに違いはあるの?あなたの意見募集します

http://moemanga-room.com/?p=5904

 

百合とガールズラブかぁ……

結論から言ってしまえば、「無理にわけずに想像の余地を残した方が良い」と思っています。

 

が、そこに至るまでの過程も書いておいた方が他の人の視野を広げる役に立つかなぁと。

 

まず前提なのですが、私の友人に同性愛者がいるのですよね。

真性のレズビアンで、女性しか愛せない人です。

友人が読書マニアだったことから良く百合漫画会を開くなど、割りと親しい仲になっています。

で、同時に同性愛の現実なんかも聞いたり、愚痴に付き合ったりするわけです。

 

現実の同性愛者同士の恋愛も、結構どろどろしていることがあります。
まぁ、性別の違いとかおいても人間なので、欲があるのは仕方ないのです。
そして、私は欲を否定する立場にいないですし。

百合界隈には


『異性間の恋愛と違って不純な感情が混ざらないから良い』


という人もいたりするのですが、あくまでそれはフィクションです。
ただ、『フィクションだから良い』という話もあったりするので、何が正しいか、良いのかは人によって違います。
それを他人に押し付けなければいいだけの話ですし、理解されない人がいるのも当たり前なので。

やおい(やまなし、おちなし、いみなし)だって本質的には変らないです。
(そこに至る心理とか過程を踏まえて書いてしまうと長くなるので省略)
「ただ女の子がイチャイチャする話しが読みたい!」って需要があるのはあるのはある意味当然のことですしね。

そして、前提を踏まえた上で書いてしまうと、


「百合は愛を含まないケースがあるけど、ガールズラブは愛が前提になるよね?」

という話になります。

実際に人間の恋愛の話に置き換えます。
同性が好きだと思っても、それが勘違いだということは十分にありえます。
思春期の憧れとか、異性からの逃避とか、その感情に至るまでの背景は人それぞれです。
愛になるかもしれないですし、そうでないかもしれない、非常に広い範囲の関係が含まれます。
でも、勘違いとかほろ苦さが含まれても『人を想う』ことの大切さは変らないですし、非常に重要なポイントになっていると思います。


一方で、ガールズラブは愛が前提になります。
ラブ……ですからね。
少なくとも片方に愛がなければ定義を満たせないことになるかなぁと。
もちろん、『恋に恋する』『虚像を好きになる』ということもありえるのですが、百合よりも狭い範囲になるのでは? というのが個人的な解釈です。

で、ラブはどこからどこまでかというのは、『本人が決めるもの』であって、『第三者が無理に決めるものではない』とも思っています。

百合にガールズラブが含まれる可能性はありますが、ガールズラブといってしまうとより範囲が限定されるのではないかなぁと。
もちろん、親愛なども含めばかなり範囲が広がるので個人差があって良いと思います。人によって感じ方は変るはずので、ラブの範囲を広げるか狭めるかは個人の匙加減です。

画一的な価値観を押し付けると痛みを感じる人もいますしね。
押し付けられたら愛じゃないって感じる人も多いのではないですか?
少なくとも私はそこに愛を感じません。

本質を明かさない、あるいは想像の余地があるのが百合の魅力だと思っていて、ガールズラブは愛があることを前提に雰囲気を楽しむものかなぁと。

人の心も、物語も先がわからないから楽しいし、ドキドキしたりしませんか?

これは趣味の話なので、共感しない人が出てくるのも当たり前だと思っています。
作品を最後まで読まないと判別がつかないケースも多いですしね。
ただ、無理に人と定義を共有しようとするよりも、自分が楽しめるようにジャンル分けしたり、タグ付けした方が角が立たないかと。
言葉はあくまでコミュニケーションをとるためのもので、争うためのものではないと考えていますので。

もちろん、本質を追及するのも一つの方法なのですけど、それが辛い人もいますから。

『秘せば花』

そいう考え方も合ってもいいという思う個人の見解でした。